お寺に行って仏さまに手をあわせます。
お寺に行く人ならみんなそうしますよね。私もそうします。
私はあることをきっかけに空海の熱烈なファンになったので密教の仏さまをよく拝みます。
それがきっかけでお釈迦様や仏教についても調べるようになったのですが、お釈迦様は歴史的に存在した一人の人間なんですね。
私たちが手をあわせている観音さまとか阿弥陀さまとか歴史上のお釈迦様は一言も発言してないわけです。
観音さまとか阿弥陀さまさまとか大乗仏教になって現れてきた仏さまです。
大乗仏教はどんなふうに考えたかというと、ざっくりいうと
歴史上のお釈迦様とは別に永遠の仏さまが存在して、歴史上のお釈迦様その永遠の仏の現れのひとつであると考えたんですね。
だから釈迦如来だけじゃなくていろんな如来が出てくるし、如来になる前の菩薩もでてくる。
まあでもね大乗仏教の人たちは必死で考えたんですお釈迦様のことを、お釈迦様の教えのことを。
大乗の人たちも修行も瞑想もしたでしょう。
で考えに考えた結果
「永遠の仏」が存在するとしか思えない。「永遠の仏の世界には様々な如来、様々な菩薩も存在するに違いない。と。
まあざっくりいうとそれが大乗仏教の世界観です。
お寺にに行って様々な如来様や観音様に手をあわせる私達日本人はその世界観のなかにいるわけです。
で、最後に私はどうなのかという話なのですが。
私はねえ、私はもう信じることにしたんですよ大乗の世界観を。